のぼりを作成することにしました

のぼりと文化祭といって思い出すものは、大体の人が高校などの学生時代ではないでしょうか。そういう私も、高校生の頃行われた文化祭でのことです。

私はESSという英会話のクラブに所属していました。そして私たちESS部も文化祭で日ごろの活動を発表できることになりました。

発表といっても展示会のようなもので、交換留学をした先の国での出来事や、その国の文化などをまとめて皆に分かり易いように一つの教室にまとめて展示しました。その教室にたくさんの人が来て欲しい、そう願ってのぼりを作成することにしました。

他のクラブものぼりをたくさん作成していたので、その中でも皆の目に付くようなデザインにしたかったので1週間くらい試行錯誤しました。

そして5つの違うデザインのものを作成することに決めました。10人の部員で朝は6時くらいから授業が始まるまで、夕方は放課後から夜8時くらいまで協力して制服を汚しながら作ったことが印象に残っています。

文化祭当日、私たちの一生懸命作った幟を見て多くの人が私たちの展示教室に来てくれました。そのおかげで、秋以降ESS部への入部希望者が増えるといううれしい結果がでました。

30歳近くになった今でも、道端でそれを見つけるとこのときの出来事を思い出さずにはいられません。

のぼりを立てて大々的に宣伝

のぼりと文化祭の思い出というのはあまりないのですが、それはおそらく私が通っていた高校が、わりと校則にきびしい女子高だったからだと思います。

闇雲にきびしいというのではなく、きちんとした女性になるためには礼儀・礼節に長けた女性であらねばならないという教えだったものですから、あまり文化祭だからといって、にぎやかにしすぎるのはいけないという考え方でした。

そのわりには、軽音部がバンドでガールズロックをガンガンやるのはOKという、ちょっと理解に苦しむところもありましたが、文化祭の一番の呼び物である屋台のそばには、あまり目立った宣伝もされていなかったと記憶しています。

生徒の保護者と家族、親戚しか入ることを許されず、他校の生徒は、女子はもちろん、男子は断じてだめでした。そんな学校でしたから、屋台前にのぼり旗を出して、お祭り気分でバンバン売ろうという気はさらさらありませんでした。

なんといっても屋台を仕切っているのは、普段は事務仕事をしている事務員さんだったり、生徒とそれを手伝う先生だったりしましたから、幟を立てて大々的に宣伝でもしたら、パニックになったと思います。生徒が列を作っただけでも大変だったので、推して知るべきです。

今では、もっとオープンになっているようなので、のぼりももしかしたら立っているのかもしれないと思います。